「ちゃんと理由まで説明したのに、なぜか部下が動いてくれない」。「よいマネジャーになりたいのに、どうも思うように伝わらない」。マネジャーになってから、こうした手応えのなさを感じたことはないでしょうか。
厄介なのは、こうつまずく人の多くが、プレイヤーとしては優秀だったという点です。成果を出し、上司の信頼を得て、管理職を任された。それ自体は誇るべきことのはずなのに、いざ人を率いる立場になると、同じ壁にぶつかる。原因は、能力不足ではありません。むしろ「優秀さ」そのものが、部下の主体性を奪う側に回ってしまうのです。その落とし穴を、書籍『Googleで学んだ 圧倒的成果を出し続けるマネジャーの最優先事項』では「正しさの罠」と呼んでいます。
正しさの罠とは、プレイヤー時代に成果を出した「自分のやり方」を、そのまま部下に当てはめようとしてしまう心の動きのことです。過去の成功体験が積み重なるほど、そして権限や役職を得るほど、「自分の考えは正しい」という前提が強くなっていく。その前提は多くの場合、実際に正しい。だからこそ質が悪いのです。書籍は、この心の動きをこう描写します。
「自分の考えの方が正確で、より合理的だ」という意識を強めていく。
正しい答えを持っているマネジャーは、つい先回りして答えを渡してしまいます。部下が考え込んでいると、待ちきれずに「こうすればいい」と口を出す。指示は的確で、短期的にはうまくいく。けれどその一手ごとに、部下が自分で考え、決め、責任を引き受ける機会は少しずつ失われていきます。気づけば、指示がなければ動けないチームができあがっている。マネジャーの正しさが、部下の主体性を静かに削っていくわけです。
正しさの罠が怖いのは、悪意ではなく善意から生まれる点にあります。部下に失敗させたくない、早く成果を出させたい、という思いやりが、そのまま「自分の正しさを渡す」行動につながる。しかも成功体験が豊富な人ほど「渡せる正解」を多く持っているため、罠は深くなります。
書籍では、この問題を無意識のバイアスの一つとして扱っています。自分では公平に、合理的に判断しているつもりでも、過去の経験というフィルターを通して現在を見てしまう。そのフィルターの存在に気づかないまま「これが正しい」と押し通すと、部下は「どうせ結論は決まっている」と感じ、考えることをやめてしまいます。
正しさの罠から抜け出す出発点は、シンプルです。答えを渡す前に、問いを渡すこと。書籍では、マネジャーが使い分けるべき二つの関わり方として「コーチ」と「応援団」が挙げられています。
まずコーチとしては、答えを言わずに問いで思考を深めます。「なぜそう考えたの?」「その根拠は十分?」「ほかの選択肢はない?」——こうした問いは、部下自身に考えさせ、当事者意識を引き出します。方向性が合ってきたら、今度は応援団に切り替える。肯定的に支え、自己効力感を高める。この使い分けが、指示待ちを主体性へと変えていきます。
もう一つの具体策が、目標の立て方です。マネジャーが目標を決めて渡すのではなく、まず本人に目標案を出してもらう。そこから一緒にHOW(どう達成するか)まで議論する。最初の一歩を本人に踏ませることが、当事者意識の起点になります。マネジャーが最優先すべきは、命令でも管理でもなく、メンバーと一緒に進む「伴走者」であること——これが書籍を貫く核心のメッセージです。
そして、罠から抜け出すために書籍が挙げる鍵が、自制力と謙虚さです。自分の正しさを一度疑い、相手の可能性を信じる。部下の意見が自分と違ったとき、反射的に論破しにいくのではなく、いったん問いに変えてみる。この小さな一拍が、レッテル貼りや切り捨てを防ぎ、忖度ではなく本音の出るチームをつくります。
著者・水野ジュンイチロがnoteで公開している連載漫画にも、この主題が描かれた場面があります。チームに「本音で議論しよう」と促した主人公。ところが議論は、一人ひとりが自分の正しさをぶつけ合うだけの状態に陥り、方向性は何も生まれない——というくだりです。
この場面でメンターが突きつけるのは、「あなたは、議論の行く末を気にしていなかったのでは?」という問いです。正しさをぶつけ合うことに気を取られ、チームとして何を実現したいのかという結果を手放していた。正しさの罠は、正しさに固執するあまり、本来向かうべき成果から目をそらさせる。だからこそマネジャーの仕事は、自分の正しさを証明することではなく、チームが前に進める場を整えることにあるのです。
「マネジャー自身が変われば、チームが変わる」。優秀だった人が、その優秀さの使い方を少しだけずらす。答えを渡すのをやめて、問いを渡す。それだけで、動かなかったチームは動き始めます。